桑属は、世界に約55属1000種が報告されています。植物学名はモルス・ボンビイシスでモルスはケルト語で”桑”を意味し、ボンビイシスは”蚕の絹”との意味です。結実は赤色・黒色・白色と、野生種と栽培種によりいろいろな色の実が有ります。又この桑属の仲間にイチヂク ・インド菩提樹・ガジュマル・ゴムの木と意外な樹木がこの属に含まれます。
桑(くわ)について
北は、千島列島差サハリンから、南は屋久島・沖縄諸島・小笠原を含めた島嶼(とうしょ)地域にも分布しています。日本の桑を含め東アジアの桑は養蚕(ようさん)を目的とした栽培と、事亜熱帯・南米・西アジアヨーロッパでは、果実としての栽培を目的とした2系統があります。
日本の桑は中国北東部原産の唐桑(からくわ)を元に在来種の山桑を掛け合せた種で、飛鳥時代に始まり盛んになったのは、江戸時代・明治期にその隆盛を見ました。明治期、絹糸・絹織物の輸出が盛んになり当時(農林統計) で約200種の栽培種があったと言われています。
桑は、樹高10m~20m・直径40cm~60cmが平均レベルです。中には、80cm~1m数は少ないですが、大径材もあります。
桑材の利用
日本では、建築材の内装・床ノ間廻り(床柱・框・落掛や地板・棚板に多く使用され、楽器(長琶)・美術指物・茶器・茶道具(ナツメ・茶炉の棚物等)に使われ、茶室の内装材、桑柱や各部材(皮付も含む)、小丸太類など、現代では日本の桑の良材が枯渇しており、美術工芸品や小物製作が中心です。
桑の呼び名
日本の桑材は山桑(やまぐわ)・地桑(じぐわ)・里桑(さとぐわ)に大別されます。山桑・地桑は、野桑(のぐわ)と言われ、山地を主に分布している昔からの栽培種以外を指します。又養蚕を目的とした種類の木を里桑(さとぐわ)と称します。 現在寒村と言われる山奥まで戦後植えられています。近種に西日本に分布する毛桑(けぐわ)が有ります。明治からすでに150年を経過していて、野生種とのハイブリット化(交雑)も問題になっています。人との結び付きが深い為この様な裏目(うらめ) が生じます。
幻の小笠原桑
戦前まですでに皆伐化が進み、現存する桑の育成木は父島中央山・桑の木山の東側に2本と、母島北部東山(129m)の斜面に20本しか現在ありません。直径1m近い物2~3本しか無く40cm~50cm止まりの幻年林がすべてです。今日危急絶滅種として手厚い保護下に置かれています。現在かって伐採された桑の地中根がマニア間で取り引きされています。
幻の桑、御蔵桑(金桑)
植物学上はハチジョウ桑に属し、東は千葉房総半島の付根(つけね)、洲崎・館山や南は伊豆半島松崎(箱根細工に使われる)から洋上に浮かぶ島々、大島・利島(としま)・新島・式根・神津・三宅・御蔵・八丈・青ヶ島までが多少地域の差はあっても七島すべてに分布していたと言います。
江戸指物の源流は三宅・八丈島からの桑が大部分を占めていたと言われ、明治の中頃に宮中の什器やタンス類・天皇のお招し列車・馬車・御用自動車パネルにも御蔵桑を使用したのは有名です。
御蔵以外は、島々に台風の水害・火山活動などの被災が桑の備積量を減らしたと言います。急峻(きゅうしゅん)の山が残っていったため、たまたま金桑の保護に継った感があります。現在かっての桑・ツゲ材に頼った時代は去り、観光に力を入れ、島を巡る道路も出来て、この島からの金桑の出材は無いと言います。正に”幻材”となった”金桑”てす。