チューリップウッドは、植物名ダルベルギア・フルテンセス・デシパルリスのマメ科です。別名、ブラジリアン・チューリップウッド、(米)ピンクウッド、(仏)ボイド・ブワローズ(バラの繁みの意味)と呼ばれています。産地は南米ブラジル(バイア州・フェルナンブーコ州)を中心に生育しています。樹高6~9m・径18cm~27cm、切削時バラの芳香があります。輸出される材のほとんどが小径木なので、長さ1m~1.2m~1.5mの単尺小丸太で輸出され、輸入時重量(Kg)で取引されます。
材面は黄色と桃色・紫色、辺材の白色が織り成す美しい色彩を持った材で、豊かな他に無い色がチューリップを思い起こす事から、チューリップの冠が付けられました。かすかなバラの芳香があります。
チューリップウッド
15世紀~17世紀は、大航海時代新大陸(中・南米)から、諸産物の中に木材も入り、当時ヨーロッパの王族・貴族を中心に、この材の色彩と貴重さに魅了され、特にフランスのルイ14世・15世はこの材をキングウッドと共に御用達材に指定し、宮廷内の家具・什器類・化粧・象嵌・寄木材として利用しました。中南米の発見に乗り遅れたイギリスは、東アジアに目を付け、特にビルマ産の縞紫檀(チンチャン)がチューリップウッドに似ていた為、ビルメス・チューリップウッドと称し、チーク・マホガニーと共にイギリスの家具様式まで変わったと言われています。
16世紀オランダで、トルコ原産の花、チューリップが投機の対象となり、チューリップバブルが生じました。全ヨーロッパの王族・金持ちがチューリップの変種球根を求めバブル経済をもたらしました。この時期、チューリップ材を利用して、チューリップの花の製作(オブジェ)も造られたと聞きます。今でも群を抜き他に無く、色彩はオーク(樫類)、地味な材しか見ていないヨーロッパの人々は、特に心を掴んだと思われます。
19世紀、この材を一躍有名にした物は、自動車の創成期、当時新進気鋭のカーデザイナー会社、イスパノ・スイザ、1924年フランスの富豪でワイン王と言われたアンドレ・デュポネ氏の依頼により、当時最先端技術のアルミ材に、チューリップ材を13,000個の真鍮(しんちゅう)鋲でピース材を剥ぎ合わせ成形し、完成させた唯一無二のスポーツカーを完成させた事です。当時、これ以上贅沢な材を使った車は無いと言われました。
材の利用
現在、この材の利用は、中世の時代とは異なり、王朝の昔の家具の補修材に始まり、ボウル皿類、箸・ペン製作・ビリヤードのキュー・フィッシング用具材等、小物の世界で新しいジャンルを拡げて使われています。